もくじ
基本データ
- 書名: 写真論集成
- 著者:多木 浩二
- 出版社:岩波書店
- 発売日:2003年6月13日
本書要約
本書は多木浩二の写真に関する言説や小論を集めた書籍となります。僕が手に取っているのは岩波書店から出版された文庫本です。現在は絶版となっており書店では購入できないため、今手に入れるには古本で購入するしかないでしょう。
多木浩二は本来、写真を専門とした研究者というわけではなく、もっと広い範囲の思想家であり、評論家でした。ただ彼が写真に関して言及している文章の切り口には色々と面白いところがあります。そういうわけで本書は著者によりこれまで書籍に収められてこなかった写真に関する小論をまとめたものです。
本書に収められている文章は全体として何か1つの結論を導き出すようなものではありませんが、全体を通してみると、19世紀中頃から20世紀初頭の近現代の写真文化や写真芸術を例にあげて写真の在り方や写真家のまなざしについて論じているものが多くあります。
以下、簡単に本書の内容を記しておきたいと思います。
- 第一部 写真を考える
写真の本質的な言説。「写真とは何か」「写真の可能性」を考察し述べている。 - 第二部 さまざまなる表象
写真家論。
アジェ、マン・レイ、ウォーカー・エヴァンズ、バーバラ・モーガン、アウグスト・ザンダー、東松照明、ベッヒャー夫妻、シンディ・シャーマン。 - 第三部 メディアの興亡
19世紀の写真の誕生から20世紀初頭までのメディアを中心とした写真の歴史を振り返る。 - 第四部 モードの社会
ファッション写真に関する文章。
印象に残った文章
私は写真を指標に、世界を認識する手がかりを求めていた。
いわばこの気づかぬ暗い肉体に半ば浸透され、しかも、半ばはもはや自分自身でないはるかな世界に属している二重の構造がほかならぬこの写真の魅力であり、それは写真の本性なのである。
われわれは知覚を写真化するというより、写真に知覚を見出すのである。
言語がある意味では社会の「基体」であるのにくらべると、イメージはとうていそこまで環境に浸透してそれを構造づけていないし、人間はイメージによる思考をそれほど進化させていない。
われわれにとっての写真の意味とは、イメージを言葉に翻訳したときに生じるものでなく、その写真が世界のイメージになるときに生じるのだ。
中心を喪った都市のなかに生じていたこと、つまりだれでもが他者に対して監視でありうることを意味していたのです。資本主義社会の権力とはこうして無意識化した相互的監視であったことができます。
写真は社会に出現するとき、なんらかのメディアと結びついていないことはないし、結びついた状態で人びとに知覚され、読まれるのである。
いちど写真を写真家からひきはなして、写真がこの社会のなかでどんな働きをしているのかを問う必要がある。
エレクトロニクス・メディアがつくりだす能動的で相互的な世界のなかで、写真はこれまでとちがったありようを示すにちがいない。それはエレクトロニクス・メディアの概念が基盤になって、写真の概念は再構成されるようになることである。記録か表現か、芸術か非芸術かなどの議論はそれこそ無用になるだろう。その可能性を無意識に感じはじめたから、写真の無方向なまでの多様性があらわれてきたのだろう。
読書感想文
現代において写真を論じることの意味がいまだ存在しうるのかどうか。これが僕の抱えている問いのひとつでした。本書を読んでその問いに対する何か答えのようなものがうっすらとでも見えれば良いと思っていました。また、インターネットメディアが発展した時代において写真が持つ意味を考えるきっかけにしたいという思いもありました。
現代のコンピューターやインターネット上の現象は、もとは写真が誕生した際にも存在した人間の原始的な欲望をベースにしているということが、本書の各文章の端々から読み取ることができました。
人類は写真という表現手段を発明し、それを新聞や雑誌というマスメディアを使って世界に流布させる活動をしていたわけですが、現代でもテクノロジーこそ新しいですが、単に効率良い形で同じ活動を実現しているだけではないかと思いました。
多木浩二は本書のある文章の中で写真の構造を「環境ー主体ー写真」というふうに説明しています。そこでは主体というものは写真家の主観だけではなく匿名性も含んだ二面性を持ったものとして定義づけをしていますが、現代では写真家を特定する暇もないほどのおびただしい数の写真イメージが日々生産されており、もはや写真家の主体というものは消え去り、全てがアノニマスな存在とならざるをえないものとして写真を捉えなおす必要があると思います。
その他、本書を読んで気になった点は、写真による都市の言説化です。都市の風景を写真にすることで、はじめて都市が発見されるわけですが、現在では、Google Mapによっていまや究極的に世界を都市化してしまった現実があります。
また、ステレオスコープという近代の玩具的な仕掛けが、VRに象徴される仮想現実の技術の開発につながっており、ここでも立体視に対する人間の欲望というものが今に始まったことではないということを知り大変面白かったです。
正直なところ、本書は普通の読者にとっては難しい本と言える部類でしょうが、文化や芸術として写真を考えるきっかけとなる書籍だと思います。
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Photo by Alexander Dummer on Unsplash