もくじ
基本データ
- 書名: ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2
- 著者:東 浩紀
- 出版社:講談社
- 発売日:2007年3月16日
本書要約
本書はポストモダンを分析するためのオタク文学論もしくは小説論といえる。ポストモダン化した文学の一つの可能性としてライトノベルを定義し、それを切り口にしつつポストモダン化した世界の小説の在り方あるいはオタクたちの生き方を論じている。
印象に残った文章
「現在のオタクたちの表現と市場の中心には、「自律したキャラクターの集合」、(中略)「キャラクターのデータベース」がある。」
「ライトノベルの本質は、物語にではなく、キャラクターのデータベースというメタ物語的な環境にある。」
「ライトノベルはポストモダン的な小説である」
「オタクたちがなにをリアルだと感じていることにしているか」
「ゲームとは本質的に、物語を「リセット可能なものとして」描くメディア」である
読書感想文
最初に浮かんだ疑問が一つある。オタクって文学を読むのだろうかという疑問である。個人的なイメージだが、オタクと文学というものを結びつけて考えられなかった。私にはライトノベルは文学ではないという認識があったのかもしれない。固定観念を払拭させる必要がある。だから本を読まなければならないと改めて実感した。
ポストモダン化によって大きな物語が衰退したという著者の主張には同感である。その時代背景と日本のメディアコンテンツが売れなくなった時期というのが重なるだろう。近現代のメディアであるテレビ、雑誌の力が無くなって、それらに依存していたテレビゲームや音楽などが単に売れなくなったということではないか。
<本書は私が期待していたようなゲーム論ではないが、>文学・小説がポストモダン化した社会でどのように生き残ることができるかという視座で論じられている。そんなポストモダン文学論を参照してゲームというものを改めて考えることができるのではないだろうか。
ライトノベルは、平凡な現実(日常)を描きながらまんが・アニメ的なキャラクターを通して非現実的な、非日常的な想像力を生み出しているとし、そして、ライトノベルからゲームのような小説へと論を展開していく。
ゲームには死を描けないという。それはゲームには死へと向かう物語が無数にあり、ゲームの死はリセットすることで物語が復活してしまうからだということだ。ゲームのような小説はそれゆえ文学の価値としては低いと評価する評論家もいるが、著者はそれには反論する。<ゲーム的リアリズムによって小説はさらに再生産されるということになる。>
メディアをコンテンツ志向メディアとコミュニケーション志向メディアと分割しているが、現在の感覚では、旧コンテンツ志向メディアはもはや消えゆく存在である。生き残るとすれば、Netflixのように巨大ITメディア化する必要がある。
これまで物語というのは、庶民にとって、ある特権を持ったメディアからしか発信できないと信じられてきたが、今や無数の物語が無数の個人から垂れ流される時代になってしまった。ただ、それは現代の個人にとって新しい権利であり、真に自由になるチャンスなのかもしれない。問題は、その世界の中で一個人がいかに物語を成立させ、どのようにしてより多くの他者へ発信することができるのかということである。
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