もくじ
はじめに
子供のころ、よく目にしていたゲームメディアがいつの間にかなくなっていた。特にTV・出版系のメディアは周囲からほとんど消失していた。それは自身が大人になったせいだと思っていたけれど、実はそうではなかったんだと、今回、本書を読んで、その歴史の流れを少し理解できた気がした。
本書は、2018年6月7日発売の季刊誌・ゲンロンのゲーム特集の号であり、編集は思想家である東浩紀氏である。本書の全ページの7割程度がゲーム関連の座談会録、論考、コラムとなっている。今まで僕はゲンロンを読んだことがないし、東氏の書籍も未見である。実は、 観光客の哲学や ゲーム的リアリズムは購入済みだが、未読である。
今回、ゲーム関連の箇所を中心に読み進めた。それ以外、ゲームに関係のない、コラムや論考は読んでいないので、それらのレビューはしていない。本ブログ記事ではあくまでゲームに関する文章に限定して見ていきたい。
構成と概要
本書は、座談形式が2つ、論考が5つ、コラム1つ、インタビュー2つ、その他コンテンツが3つという構成である。以下、本書の論考、コラムの一覧と一部自身の所感を記述したい。
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共同討議:メディアミックスからパチンコへ
座談会形式で90年代以降のゲーム史を取り上げている。参加者の個人的に思い入れのあるタイトルを紹介しながらゲームの歴史を辿る。ゲーム史と言いながら割と近い90年代からの歴史ということで、各個人のゲーム体験史といったところ。 -
補遺:視点、計算機、物語
最初の共同討議から少し人数を減らした補足の鼎談。個々のゲームについて論じている。ここも割と好き勝手にゲーム論について雑談している感じである。悪いとは言わないが、このようなカジュアルな文章も必要だったのだろう。ここまでで東氏は基本的にはゲームユーザーとしてはカジュアルなオタクなんだなと理解した。 -
論考:メタゲーム的リアリズム
メタゲームに関する論考。ここでも東氏のタイムループへの言及が他著者より取り上げられている。タイムループものに関しては別の記事にまとめてみたいと考えている。 -
論考:現代美術の起源
タイトルにもあるようにこれはゲーム論ではなく現代美術論になってしまってはいないだろうか。デュシャンをゲーム作家として定義しなおすという試みであるなら面白い点もあるが、今さらデュシャンでもないという感じである。 -
論考:ボタンの原理とゲームの倫理
ゲームの定義として「ゲームの不変の要素は「ボタンを押すと反応する」点」というのは、ある意味そうだなと納得した。筆者はそれをゲームの倫理につなげていく。ゲームシステムからボタンを押せと言われて、プレイヤーがボタンを押すという行為はゲームの倫理に反する行為だと言っている。確かにそうだろう。誰かから人を殴れと言われて無闇に殴るようなものだ。ただ、それが倫理に反しているということをゲームはいちいちユーザに教える必要があるのか。それは僕にはわからない。 -
論考:ゲームはどのように社会の問題となるのか
ゲームは悪である。子供のときからそう言われてきた。特にテレビゲームは頭が悪くなると言われてきた。今だって、子供だろうが、大人だろうが、何百時間も費やしてゲームを遊ぶ行為というのを手放しに誉める大人というのは少数派だろう。だからゲームは社会の問題になる。 - インタビュー:経験装置としてのJRPG
- インタビュー:ゲームは黒澤明を求めている
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コラム:日本国外のヴィジュアルノベル
いわゆる美少女ゲームだが、誰にでも食わず嫌いはある。 - 論考:ゲーム的行為、四つのモメント
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キーワード:ゲームの時代10の論点
このキーワード解説は結構面白かった。特に、ゲーマー、メディア、レビュー。
感想と考察
読後の全体的な感想としては否定的になってしまった感じもしたが、個人的には思ったより楽しめた。久しぶりにアカデミック寄りの文章を読んだので、今後は本書のような固いものも消化していかないといけないなと実感した。
前半の論考では何かにつけてゲームの二重化押しが気になった。そこまで二重化というのは珍しいのだろうか。人間は過度なストレス下で精神が二重化するし、古くから人間には二面性があるのは知られていることだし、ビデオゲームはそれを利用してうまく再現しているに過ぎないから、殊更ゲームだけにその特性があるっていうのは違うのではないだろうか。
本書のいくつかのゲーム論考を読み、現代のゲームメディアというのはどうあるべきなのか、なんとなく考えてみたくなった。今、僕がゲームを知るための手段というのは、ほぼネットからの情報である。そしてYouTubeのゲーム実況ビデオというのがとても有意義な情報源となっている。ゲーム実況者によるゲームは本書の中でも言及されているようにメタゲームであって、それは既にゲームの一部であり、YouTubeによるメディアもまたゲームの一部ということか。
それら新しいメディアを支えているYouTubeにしろ、Twitterにしろ、その存在自体がそもそも最初からゲームを想定したサービスなのではないだろうか。現代のネット環境自身がゲーム化してしまっているということに本書であまり言及がなかったというのは少し残念である。これからのゲーム研究者はもっと現代のゲームのあり方を正確に捕捉していかないとやばいのではないかと本書を読んで思った次第である。
あくまでも補足だが、論考を掲載している著者の方がネットで炎上していたり、本書自体も当時ゲーム業界の方から色々とクレームがあったという話しをネットで見た。本書の中でメタゲームというゲームの一形式を重要な概念として随所で取り上げられていたが、ネット上、東氏含め、ゲンロン自身がメタ哲学みたいな存在に見えるというのは、なんだか皮肉めいているし、面白いことである。