「遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況中継」ブックレビュー

Book Review for Endo Masanobu's Game Design Lesson Live

Posted by 51n1 on 16 Apr, 2021

もくじ

基本データ

本書要約

本書の前半部分では、下記のようなゲームデザインについての本質的な定義を学びながら、ゲームとは何かというものを考える。

現代のゲームデザインは、メカニクスデザインとレベルデザインで成り立っている。乱暴にまとめると、メカニクスデザインで、モデルとなるゲームシステムを元にルールを定め、レベルデザインによってゲームの難易度を決めて時間をコントロールする。

また、本書では、コンピュータゲームだけでなくカードゲームなどのアナログゲームやアーケードゲームについても多く言及されている。中盤以降は、各ゲームジャンル毎に実例を出しながらそれぞれのゲーム性について特徴を見ていく。

モバイルゲームについての言及もあるがガラケーの時代の話が中心なので情報としては少し古いかもしれない。

印象に残った文章

「ゲームをデザインするというのは(中略)ルールを決めること」

「プログラムも絵も描けないからプランナーをやりたいというやつには、ろくでもないやつしかいない。」

「いろいろな要素を加えていくのもいいんだけれども、尖っていたほうが実は面白かったりする」

「サイコロをゲームの中に入れるだけで面白くなる」

「軽い気持ちでくる人にとっては、その80時間が重すぎる。」

ゲーム『マザー』について言及し、「隣町まで行くのにとんでもなくかかるんだよね。1時間近くかかったりする。(中略)そんなものをゲームに求めている人はいない」

「一番大事なのは何かをキッカケにものすごく楽ができる、というものをゲームの中にちゃんと入れておくこと。」

「売れるゲームには面白さ以外にも売れる要因がある。」

「何となく操作感が悪いのはゲームの内容以前の問題で、全部クソゲー認定される。」

「カジュアルゲームだったら、ほぼ半数は女性ユーザー」

読書感想文

ゲームを面白くするデザインとは何か。面白いゲームとは何か。どうすれば面白いゲームを作れるのか。本書の中にこれらの問いに対する答えがあるだろうか。期待を持って読み始めた。

本書ではまず面白いものとは何かということを討論しだすのだけれど、人それぞれが面白いと考えているものをどのようにゲームとして組み立てるのかというところまではなかなか導き出すのは難しい。

結局のところ、それは分からないというのが答えなのかなと思う。面白いゲームとは何かという問いは、面白い小説とは何か、面白い映画とは何か、という問いのようなもの。しかし、小説とか映画といった芸術表現については既に色々な作家や批評家がそれなりの歴史の中でそのような問いを語っているし、論じている。

ゲームという表現はまだ十分には語られていない世界である。だから、面白いゲームとは何かという問いは、自分で作りながら探すしかないのではないか。本書を読みながらそんなふうに考えていた。

敵を倒し経験値を手に入れレベルを上げる。ゲームの中のレベルというのは単にデータ・数値でしかない。そのレベルを上げるための反復運動の動機付けに壮大な勇者の物語を作りゲームを続けさせるというのがゲームという芸術表現の為せる技なのだと思う。これが小説とか映画とかの芸術表現と違うところで、単純な動作の積み重ねを感動的な物語にすり替えることがゲーム表現の最大の目標とも言えるのではないだろうか。

じゃあ、ゲームというのはそんな錯覚を見せているだけなのだろうか。もしくは、現実の模倣なのだろうか。我々の現実の生活も1つ1つを見れば、普通は地味な行動の積み重ねだったりする。朝決まった時間に起きて、朝食を食べて、顔を洗い、歯を磨き、学校に行ったり、会社に行ったりする。そんな日常を毎日毎日続けているわけである。

ゲームは単にそれを真似ているだけとも言える。現実の場合、つまらない日常を続けていても感動的な物語なんてものは、滅多に存在しないが、ゲームの中ではつまらないと思える行動でさえ諦めずに反復した結果、夢が実現する瞬間があるわけである。我々がゲームに求めるもの、ゲームに期待するものというのは、実は日常の中で求めているものであり、その夢を代わりに実現させることなのかもしれない。

元々、僕はゲームをするというのがあまり得意ではない。なぜなのか考えることがあったのだけど、その理由の一つとしてゲームの中でわざわざ日常的な行為を追体験しているような気分になるのが嫌だったのかもしれない。